印章コラム

印章コラム01.〈印章の歴史〉

-はじめに-

古橋三栄堂のHPをご覧いただきありがとうございます。
名古屋市・西区・名古屋城下町の「浄心」にて1953年より
印章専門店としてご愛顧いただいております。
印章彫刻士歴40年以上の店主・古橋宏が接客から製作まで一貫してご対応しています。


ご来店されるお客様は、印章について何もわからないという方がほとんどです。
ご安心くださいませ。用途をお伺いし、丁寧に印材選びをサポートし、もっとも美しい仕上がりとなるよう手書きの文字デザインと熟練の彫刻技術で価値のある唯一無二の印章をお作り致します。


「印章コラム」連載は、印章の知識を少しでもわかりやすく簡単に解説し、お店選びのきっかけになればと思い書かせていただいております。日本の伝統工芸品である、「手書きデザイン・手彫り・手仕上げ印章」の世界を少しでも知って頂き、興味をもっていただけたらうれしいです。

01.印章の起源

紀元前年ごろに、今日の印章の起源となる「印」が作り出されました。壮大な古代文明・メソポタミアの人々が石や粘土、貝殻などを素材として個々の「印」を彫り、自らの証として使用し、神聖な力が宿ると信じていました。

西暦五十七年、漢王朝からわが国の古代国家へ印綬が授けられました。国宝である「漢倭奴國王」金印は、現存する日本最古の印章です。

02.日本での印章の始まり

印章が本格的に日本に伝承されるのは遣唐使などの往復から始まったのは、奈良朝からと言われています。そして大宝律令(七〇一年)下で「官印」制度が定められ、日本の印章史の第一歩が刻まれました。

やがて「私印」も発生して公家の間で用いられましたが、平安後期になると印章に代わって「花押(かおう)」が隆盛をみました。その後、室町時代に宋・元の文人印に倣った私印が武家の間で復活。この系譜の印章は戦国武将たちにも受け継がれ、自らの権勢を示す「しるし」として広まっていったのです。

江戸時代には、印の普及が広まりましたが、一般人には朱肉に使用は禁じられ、書画の落款以外の使用は禁じられており、黒肉が使われた。したがって、朱肉は武家時代の公文書だけに限られ、非常に権威のあるものでした。

03.印章業の起こり

戦国時代から安土桃山時代にかけて、オランダ・ポルトガルとの交易が盛んになり、取引に必要な朱印を押した朱印状が必要だったため、種々の印章がつくられました。このころ、実名印(後の実印)が商人の間で使用されるようになり、これに伴って専門の印判師が出るようになりました。秀吉が3人の板版師を選んで、印判師になるよう命じ、「細字」の姓を与えました。これが後の印章業者の元祖となり、京都、金沢にはその子孫が残っています。

江戸時代になると、武士は花押しも使いましたが、普通には印判を使いました。ほとんどは実印でした。奉公所では、裁判、訴訟の書類に、その長の個人の実印が捺していました。当時、京都には30人ほどの印判師がおり、寛永元年(1624年)に、京都の印判師が江戸に下ったといわれています。

04.現代の印章

明治時代に印鑑証明制度が始まり、「自己の証」「意思の確認」としての実用印章が、一般庶民へ広がります。日本の姓は10万~20万種ともいわれ、世界に類をみない多様性をもっています。その漢字のもつ意味と、印章書体のデザイン性、本人の意思・アイデンティティーを象徴させたものが印章です。

現代ではIT化、複雑化した社会機構と事務形態で、印鑑レスは進む一方ですが、能率的、科学的な面でもまだ印鑑証明制度は日常生活の中に不可欠な制度として残っていくと考えられます。また、文化的な面でも、日本の伝統工芸品として、印刻の技が東洋美術の中で評価されており、次の時代へと印章彫刻の芸術的価値を伝えていくことが大切だと考え、日本中の印章彫刻士は日々研鑽し続けております。

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